「あきらめの悪さ」が最終投てきの強さに
だが2年時のシーズンベストは61m07、3年時も60m48と、北口は自己記録を更新できなかった。村上コーチが日大スタッフから外れた影響もあったのかもしれない。特に3年時は著しい体重減もあり、6月の日本選手権は49m58の12位と大敗し、7月の2試合も52m台と低迷した。苦しい時期の北口はどうだったのか。
「今みたいに大人ではなかったと思いますし、自信を持てない時期でした」と小椋。「でもそこで気持ちが折れたりしませんでしたね。練習に出てこないことはありませんでしたし、あの笑い声を聞かなくなったことはなかったと思います。自分に向き合ったことで秋には立ち直り、60m48を投げました」
それも北口の特徴である「あきらめの悪さ」だったと小椋は指摘する。練習でも北口の性格が良い形で表れていた。日大では投てき選手の代表的な練習メニューである砲丸のフロント投げ、バック投げをよく行った。小椋は何m、北口は何mと差は付けるが、その距離を投げるまで行ったり、その距離を何本投げると決めたりして練習していた。
「簡単に投げられない距離を設定することもあります。何本投げても越えられないと、練習ですから普通の選手ならあきらめるのですが、北口は絶対にあきらめませんでした。これを最後と決めて、その距離を投げることがありましたし、僕らが記録を越えて、『終わったぞー』と声を掛けると、スイッチが入って彼女も越えたりしていました。走るメニューも最後の1本でタイムを出したりするんです。それが試合でも、最後の1本の集中力につながっているのだと思います」
22年オレゴン世界陸上で銅メダルを決めたのも、23年ブダペスト世界陸上で金メダルを決めたのも、最終6回目の試技だった。世界陸上以外の国際大会でも最終試技で逆転することが多く、外国選手たちの間でも“逆転の北口”の評価は定着している。