「模範的な消防士が、実は冷酷な殺人鬼だった――」
戦後日本を震撼させた連続殺人事件「勝田清孝事件」は、1972(昭和47)年から1983(昭和58)年のおよそ10年にわたって広域で繰り返された前代未聞の猟奇事件でした。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)*一部敬称略
優秀な消防士の裏の顔
勝田清孝元死刑囚は1948年、京都府に生まれました。
消防士として真面目に働き、表彰を受けるなど「地域の模範」と評されていました。しかし彼には「裏の顔」がありました。

1972年9月、京都府内で最初の強盗殺人を犯し、ここから長期にわたる連続殺人事件が始まるのです。
「クルマによる移動」が当時としては新しかった
彼の犯行は単なる窃盗や強盗にとどまりませんでした。ターゲットを決めると容赦なく襲撃し、金品を奪ったあと命を奪う。被害者は若い女性が中心でしたが、中年男性まで多岐にわたりました。しかし決して自分より強そうな相手を襲うことはありませんでした。

犯行地は、京都、大阪、愛知、兵庫、滋賀、岐阜と広範囲に及びました。勝田はこの時期としては珍しくクルマ(盗んだスポーツカーなど)で動いていたことが、捜査の目くらましになったと言われています。

認定されただけで10年間で8人が殺害され、自供では22人に及ぶとされました。