初マラソン日本最高を更新できずに苦しんだ安藤
安藤は23歳で初マラソン日本最高の2時間21分36秒をマークし、17年のロンドン世界陸上に出場した。マラソンに関しては早くに結果を出した選手だったが、その後は自己記録を更新できずに苦しんだ。「初マラソンに囚(とら)われていました」と、17年のロンドン世界陸上から19年のMGCまでを反省する。「過去ばかり見て、今の自分を見ていませんでした。初マラソンのときの練習と比較ばかりして、こんなの私じゃないと考えて。自惚れとかもあったんでしょうね。それ(走れていないこと)が自分なんですけど、認めたくなかったんです。走れていない自分から逃げていました」

しかし安藤は少しずつ自分と向き合えるようになり、練習のレベルが上がって行く。練習がよくなかったとき、17~19年と比べてどう対処してきたのだろう。「一度、今の自分を受け容れます。過去は過去でしかないんです。ここからどうやれば調子を上げられるか、何が悪くて動きが悪いのか。そこを突き詰めます」
20年3月の名古屋から3年連続で2時間22分台をマーク。その間、21年には東京五輪に10000mで出場した。24年名古屋は2時間21分18秒と、7年ぶりに自己記録を更新して優勝。パリ五輪代表入りこそ逃したが、派遣設定記録は破っていた。
「(2時間20分02秒の自己記録を持つ)外国人選手に一度離されても追いついて、勝ち切れたことも大きかったと思います。最後まであきらめなければ結果に結びつくことを体現できました。色んな大事な物を得られたマラソンでしたね」そこに至るまでの過程で、安藤は人との出会いを大切にしてきた。不調の自分にアドバイスをしてくれる人たち、移籍を3回しているが、温かく送り出してくれた人たち、迎え入れてくれた人たち。
安藤は4人の指導者のもとで2時間21~23分台を出している。安藤の他にそんな選手はいないだろう。自身の“芯”がしっかりしていれば、違うメニューで練習することはプラスになると考えている。「マラソン練習はこうあるべき、という考えもあっていいのですが、そこにこだわりすぎるのでなく、その日の体調や感じ方で色々なやり方があっていいと思っています。チームが変わったり指導者が変わったりすると不安に感じたり、動揺したりするかもしれませんが、距離を踏むところなどは共通していますし、指導者の考え方ややり方を理解しながら、自分の思っていることも伝えたり、自分がやってきたことを共有したりできれば、また新しいアプローチができると思います。そこに弊害は感じていません」
初マラソンから8年が経つ。その間に安藤が出会ってきた人の多さは、練習の引き出しの多さとなっている。初出場だったロンドン世界陸上とは、マラソンランナーとしての深みが違う。「パリ五輪の鈴木(優花・25、第一生命グループ)さんの6位入賞には、勇気をもらいました。私も入賞はしたいですね」
五輪では2大会連続入賞している日本の女子マラソンが、19年ドーハ大会以来、6年ぶりの世界陸上入賞に近づいている。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
*トップ写真は左から安藤選手、佐藤選手