「改革開放の果実を感じてほしい」鄧小平と松下幸之助の出会いから始まった中国ビジネス

Qパナソニックは中国とのご縁が深くて、1978年に鄧小平さんが日本で松下幸之助さんと会談、松下さんが「中国の近代化をお手伝いします」と約束して以来、ご縁が始まったんですよね。

本間会長

そうですね。79年80年と既に83歳だった松下幸之助が2回訪中して、北京・上海・広州と巡って45の町で125の技術協力を決めるんですね。そういうエネルギッシュな活動が今でも中国の方々や政府の皆さんに深く記憶されているのは私たちにとって大変な誇りですね。

松下幸之助が「改革開放の果実を中国の皆さんが一番感じるのはカラーテレビの普及じゃないか。だからカラーテレビの普及をお手伝いしよう」と方向を決めてブラウン管やテレビ部品の事業が始まったんです。当時は外国企業の投資を保護する法律も整っていなくて北京市の副市長が取締役として入って子細にいろんなことを調整したというふうに聞いています。

当時、カラーブラウン管の工場をこちらで運営するために200名の中国人社員を大阪の工場に送って短い人で3ヶ月、長い人は2年間訓練してノウハウを伝えたんです。生産だけでなく近代的な製造業を運営するための一切合切のノウハウ、例えば会計などの知識も当時の中国は欠乏していたんですね。それをパッケージで持ってきたということが私たちが大変に評価されているところですし、私たちも大変誇りに思うところです。それから37年を経て現在、パナソニックの中国・アジア事業は1.9兆円、会社全体の24%を占めています。この事業を約5万名の社員とともに運営しています。

提供:パナソニックチャイナ