中国語上達の秘訣は「カラオケ」?
Q中国語が上手くなる秘訣は何ですか?
本間会長
ある程度カラオケが上手いことだと思いますね。中国語は「四声」というのがあって音が上がったり下がったりするんですね。自分が上がって発音しているのか下がっているのかわからないとこれはもう上手くなりようがないっていうのと、中国人が喋る内容もこの「四声」によって意味が変わるので、瞬時に聞き分け、喋り分けることができないとなかなか上達しないんですね。これは歌を歌うとか、すぐにメロディーを真似られる才能とすごく近いので、音痴の人は中国語は専攻しない方がいいと思いますね。
私は1985年10月に中国語の訓練を開始したんですけれども、最初の3ヶ月は発音の訓練しかしないのね。同期でインドネシア語を勉強してる奴はひと月ぐらい経つと先生とインドネシア語で喋ってるんで本当に羨ましく感じましたけども、そういう長い長いトレーニングの期間があってようやく習得できるというところはあるかもしれないですね。

Q1989年に天安門事件が起きました。中国と日本、世界との関係はどうなってしまうのかと思いませんでしたか?
本間会長
まさしくそう思いましたね。当時テレビのニュース番組で「中国が経済を再開放するのは21世紀後半になるんじゃないか」とおっしゃった方がいて「もしそうだとするとそのころ俺たちは退職してるじゃないの」。一生懸命苦労して中国語を勉強したけれど大ハズレだったかもしれないということで同期と梅田で自棄酒を飲んだのをよく覚えております。
Qしかしその後の日中関係の回復は早かったですね?
本間会長
西側の経済制裁を一番手で下ろしたのが日本政府だったんですね。それで私たちも1991年から営業活動を再開することができました。まさに私たちの会社がある国貿地区の建設が始まったばかりで、中国大飯店と国貿公寓とオフィスビル、この3つだけができたところでした。外国人が誰も来ないのでものすごく安い値段で立派なホテルに泊めていただいたのをよく覚えています。それが今は見渡す限りの摩天楼に国貿地区が発展したというのも、たった30数年なんですよね。
飛行機に鶏…カオスから最先端の中国へ
Q当時中国で仕事をするにあたって苦労したこと、逆に面白かったことは何ですか?
本間会長
まさに90年代は中国が高度成長に向けていろんな変化が大きく起こったカオスの時期ですし、製造業がいっぺんに立ち上がってきた、混乱と高度成長の時期なんですよね。私たちも香港から深センに入って中国中を巡って日本に帰ってくるという出張を毎月1週間から10日していましたが、飛行機の時刻表はまだ紙で、飛行機に乗るのも全部手作業で搭乗券が割り当てられるんですけども、一旦ダイヤが乱れると中国の皆さんがカウンターに押し寄せて収拾がつかなくなるんですよね。でもその飛行機に乗らないとスケジュール全体がめちゃくちゃになってしまうので恥も外聞もなく「私は外国人で、外国人のチケットは高いんだから乗せてくれ!」と大声で叫びながら日本のパスポートを振りかざして搭乗するというような、性格を変えないとやっていけないみたいな時期でしたね。
若い人はなかなか信じないのですが、四川省の成都から上海に飛行機で行ったとき、あるお母さんが竹の籠に生きた鶏を入れて機内に持ち込んだんですよ。そしたらCAが怒って「これは駄目だ。ちゃんと預けなさい」って言ったらお母さんは「いや、私が育てた健康な鶏を上海で働いている息子に食べさせたいんだ。だから自分で持って運びたい」と。そうしたら周りの乗客が「そのお母さんは正しい!」って言ったんですよ。最後はCAが根負けして上の荷物棚に鶏を置くことを許可していましたけれども「何でもありだな」と思ったのをよく覚えていますね。
Q逆に中国変わっていないな、ということはありますか?
本間会長
それはやはり「家族を中心とした価値観」は昔と変わってないんじゃないでしょうかね。戦乱が絶えなかった中国でとても血縁が重視されるというのは今も変わっていないと思うし、自分の子どもに一番良い教育を与えたいという親の気持ちも変わっていないように思いますね。
Qおすすめの食べ物は何ですか?
本間会長
僕は最初の研修が台北だったので好きな中華料理は台湾料理と広東料理ですね。台湾料理は素朴な、あまり高い材料を使わない質素な料理ですが質素な分、素材の良さが出るので私は好みです。広東料理もあっさりしているので日本人には向いているんじゃないでしょうかね。
Q休日はどう過ごしていますか?
本間会長
日中文化交流の遺跡を訪ね歩くのをひとつの時間の使い方として意識しています。日中の文化交流は記録が残る限り1400年ぐらい、遣唐使の時代から続いていますが、日本の留学生が留学していた寺院などは結構まだ残っているんですね。そういうところをひとつひとつ訪ね歩くのを地方出張の際にはしていますね。
私は新型コロナが感染拡大した2年間、丸々こっちにいたんですけれども一生懸命万里の長城に登りました。6ケ所の万里の長城に45回ぐらい登ってますが、登って北京の方を見るとですね、外敵から守るための城壁が北京からこんなに近いところにあるんだというのは登らないとわからないし、よくもまあこんな長い城壁をいろんな工夫をしながら造ったもんだというのは行くとよくわかりますね。
