戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。太平洋戦争末期、鹿児島県の小さな離島に20歳前後の隊員を乗せた特攻機が相次いで不時着しました。80年経った今も島民の記憶に残る、特攻隊員との“つながり”です。

鹿児島県本土から南西に50キロ、三島村の黒島です。土方蔵之介さん。栃木県から山村留学制度を利用して島で暮らしています。

土方蔵之介さん
「地域行事もたくさんあるので、いろんな人と交流できるすてきな場所」

学校の授業で島の歴史に関心を持った土方さん。この日は、90歳の米盛レイ子さんに戦争の体験談を聞きました。

米盛レイ子さん
「(戦争は)二度と思い出したくない」

鹿児島県本土から沖縄へ向かった特攻機。黒島はその通り道でした。しかし、機体の不具合などで4機が近くの海や山に不時着し、けがをした隊員を島民たちで看病しました。

江名武彦少尉。県本土の基地から出撃し、エンジンの故障で近くの海に不時着しました。終戦直前まで3か月近く、島に身を寄せた江名さん。意外な素顔を見せたこともありました。

米盛レイ子さん
「『昨夜は泣く声がしたけど、おなかが痛かったの?』と聞いたら、『きのうは僕の誕生日だった。お米のごはんが回ってきたから』」

かつて、特攻機が不時着した海を臨む観音像。戦後、江名さんが戦友への慰霊と平和への祈りを込めて建てました。

江名武彦さん(2012年)
「20歳前後で亡くなられたのでね。私はそれから67年、生きているわけですからね。おわびする気持ちですかね」

米盛レイ子さん
「なんとかこれを維持したい。命ある限り」

土方さんは一緒に生活する島外出身の仲間に、米盛さんの戦争体験を話しました。

土方蔵之介さん
「80年前のことを聞くと、ものすごく的確に言ってくれる。それほど心に残っている」

新たな目標を1つ、胸に抱いています。

土方蔵之介さん
「黒島で起きたことを忘れないために、平和のバトンをつなげていこう」

島に残る特攻の記憶は、若者の手で次の時代へ受け継がれていきます。