戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。81年前のきょう、南西諸島に沖縄戦の始まりともいわれる大空襲がありました。多くの民間人も巻き込まれ、当時8歳の男性は再び戦争の悲劇が起きないことを願っています。

1944年10月10日、南西諸島全域をアメリカ軍が空爆しました。沖縄戦の始まりともいわれる「10・10空襲」です。

比嘉弘政さん(89)
「向こうは海ですから。向こうから3機とか5機、編隊で。多くて20機くらい戦闘機が飛んできた」

沖縄本島中部の読谷村でアメリカ軍機の攻撃を目撃した比嘉弘政さんは当時8歳。軍事拠点や民間人に多くの被害をもたらした「10・10空襲」で、最初に被害を受けたのが読谷村でした。

比嘉弘政さん(89)
「最初はね、演習だと思っていた。『今日はいっぱい飛行機が来るね』と見ていたら、頭上を通り過ぎた。日の丸じゃなくて星の形なんですよ。あ、これ違うと。ちょっとした間に通り過ぎて、向こうで攻撃が始まって。飛行機から機関銃、飛行場めがけてドンドン撃つ」

早朝、アメリカ軍は日本軍が建設中だった北飛行場をめがけて攻撃を開始。そのとき、飛行場建設に動員されていた比嘉さんの知人も攻撃に巻き込まれました。

比嘉弘政さん(89)
「飛行場に働きにいっている人が1人亡くなったことを聞いている。なんでよく知っているかというと、うちの一番上の兄と同級生だった」

軍事施設を標的に、そして、動員された民間人をも巻き込んだアメリカ軍の攻撃。比嘉さんは、その悲劇が近年の南西諸島を中心とした防衛力強化の動きと重なって見えるといいます。

比嘉弘政さん(89)
「戦争が始まると、どこが先に攻撃されるか皆さん考えてもらいたい。やたらあちこち攻撃しないと思う。だから、基地はない方がいい。基地がある故に、被害を被ることは考えられる」

戦争の記憶が刻まれたこの場所で、再び悲劇が繰り返されないことを比嘉さんは願っています。