歴代の社員の思いをつないで生まれた「竹紙」
川内工場では、なぜ竹を原料として受け入れるようになったのか。広く社会に伝えるために「竹紙」を使った商品も開発してきた西村修さんは、先輩社員が始めたことがきっかけだったと説明する。
「今から27年くらい前に、川内工場に勤務していた先輩社員が、地元の人たちから伐採した竹の処分に困っていることを聞いて、竹を紙の原料として活用できないかと考えたのが始まりでした」
ただ、木材に比べると竹は硬く、空洞があるため、従来の木材チップ工場では対応が難しかった。それに、いざ竹を集めるといっても容易ではなかったという。当時から川内工場に勤務していた上級調査役の原田大五さんは、試行錯誤を重ねたと振り返る。
「どうすれば木材のチップに近い形状に持っていけるのかを、チップ工場と話し合いました。何度か試験的に削るなどした結果、竹専用の刃を開発できました。ただ、最初の年は100トンに届かないくらいしか、竹が集まりませんでした。どうやったら集めることができるのかわからず、自分たちで竹山に行って、竹を切って運搬してみたところ、4人から5人で作業しても、1日1トンくらいしか持ち出すことができませんでした」
しかも、木材用のトラックで運搬しようとしたところ、重量によって料金をもらう運送業者にとっては、竹は軽いため採算が合わない。竹を一度に大量に運搬することは現実的ではなかった。検討の末、タケノコ生産農家が自分たちで伐採して、自分たちが軽トラックで近くのチップ工場まで持っていく方法で落ち着いた。
集められた竹はチップ工場で加工され、竹のチップは川内工場が全て買い取ることになった。1998年から広葉樹を原料とする紙を生産する際に、竹のチップを一緒に混ぜるようになる。
この取り組みは川内工場が独自で行なっていたものだった。それを、川内工場から報告を受けた当時の経営者が高く評価して、もっと竹のチップの買い取りを増やすことを指示し、ピーク時には2万トンもの竹を紙の原料に使うようになった。
さらに、川内工場が持っていた、パルプを生産するための古くて小規模な設備であるバッジ釜を使って、竹100%の紙を作ることができることがわかった。バッジ釜に竹チップを投入し、高温高圧で煮る「蒸解」の工程を経て、植物繊維であるパルプを取り出す。この方法で、2009年から竹100%の紙を作り始めた。
この竹100%の紙に「竹紙」と名前をつけたのが、東京本社で勤務していた西村さんだった。本来、紙は企業間で取引するBtoBの製品であり、取り組みを社会に伝えるのは難しい。そこで、「竹紙」のブランディングを進めるとともに、取り組みを環境関連のコンテストなどに応募。「エコプロダクツ大賞」エコプロダクツ部門で農林水産大臣賞を受賞したのをはじめ、20近くの表彰を受けた。
西村さんは「竹紙」を使ったノートやカレンダーなどの商品も1人で開発してきた。「竹紙」のブランディングを図った理由を次のように明かした。
「川内工場が以前から竹を集荷していることは知っていました。そのいきさつを具体的に深掘りすると、環境問題への取り組みでもあり、地域貢献の取り組みでもあると感じて、これを会社のブランディングの核にしようと考えました。『竹紙』と名付けて、この取り組みを社会に知ってもらうことが、会社の利益につながると思いコンテストへの応募や、展示会への出展などの発信を始めました」
紙の原料に竹を使い始めた1998年や、「竹紙」を作りはじめた2009年は、まだSDGsの言葉もない頃だ。中越パルプ工業では、現在でも当たり前のように、本来であれば処分に困る伐採された竹をタケノコ農家などから集めて、紙の原料として使い続けている。














