福岡の商業の中心地 天神の80年前は

福岡市天神で文具店を営む冬至克也さん(71)は戦後生まれ。
最近は海外からの観光客も増えた。

克也さんの父、堅太郎さんは、かつて天神交差点の角にあった福岡ビルに文具店を出店していた。

福岡ビルは今年、建て替えが終わり、新しいビルが開業した。

同じく天神で薬局を営む、白木太一郎さん(87)。
80年前、天神交差点のすぐ近くに店を兼ねた家があった。

1945年6月19日、空襲が始まったのは午後11時すぎだった。

白木太一郎さん
「両親と妹たち、家族全員5人いた。焼夷弾が周りに落ちてきて燃え始めたから、もうこれは類焼するのは間違いないということで、避難しなくちゃと」

逃げる途中、通りかかった岩田屋デパート(現パルコ)の前で、ホースで水をかけられたことを憶えている。

白木太一郎さん
「その角、これは当時と場所はかわってない。柱のところに人がホースを持って立ってて。ここを通ってきたらバンって水をかける。だから、初めはなんでいきなり水をかけるんだって思っていたら、歩いていって訳がわかった。服が燃えないように」

南方向に進んでいくと、あたり一面が燃えているのが目にはいった。

白木太一郎さん
「火の海のひどさは城東橋(西鉄薬院駅近く)のあたりのほうがひどかったの。そこはとにかく周り全部が燃えてて、前に進めないということで、川の水に浸かって落ち着くのを待つしかない。だから何時間かはおぼえてないけど、かなりの時間浸かっていた」

明るくなって川から出ると、街はほとんどが焼け落ちていた。

白木太一郎さん
「天神で焼け残ったのは岩田屋の建物と、松屋(現ミーナ)それだけだった。あと全部焼けた」

当時、小学2年生だった白木さん。

白木太一郎さん
「そりゃあ、まあこわかったね、いままで経験したことのないことだったから」