8月8日、夏の甲子園大会4日目。甲子園史上、最も遅い試合開始時刻(午後7時49分)と最も遅い試合終了時刻(午後10時46分)になった一戦で、高知中央は滋賀の初出場綾羽に4-6で敗れました。

甲子園の歴史に残った試合に並々ならぬ思いでベンチに入り、選手に声を送り続けた人がいます。高知中央野球部OBで現在部長を務めている松原好光(まつばら・よしみつ)さんです。

松原さんは大阪府出身。小学6年生でソフトボールをはじめ、中学で地元の硬式野球クラブ、柏原リトルシニアに入り、外野手としてプレーしました。練習に励む中、プロ野球選手になるためには甲子園に出ることが必要だと考えていた松原さんは大阪府外の高校への進学を決意。高知中央から声がかかり、入学しました。

提供:松原好光さん 高校時代練習試合

◆高知中央野球部・松原好光部長
「府外に出ることは決めていました。そのなかで高知中央から『高知3強(他2校は明徳義塾と高知)だから』と声をかけていただいて、甲子園に行ける可能性があると思いましたね。特に、『全国で名のある“明徳義塾”を倒したい』というスイッチが入りました」

甲子園を目指して練習を続けた松原さんは、1年生の夏(2018年)からベンチ入り、その年の秋からは外野のレギュラーとしてプレーしました。2年生の夏(2019年)も甲子園を逃しましたが、松原さんの学年は良い選手がそろい、当時、“高知中央史上最強の代”とされていました。

その年の秋大会、高知中央は、準決勝でライバルの明徳義塾を倒してそのまま優勝。四国大会・準決勝で明徳義塾に敗れて翌春のセンバツ出場を逃したものの、チームには“夏には甲子園に行ける”という空気があったといいます。そんななか、世界では新型コロナウイルスの感染が拡大していました。