「中止が決まった」と監督から告げられました。松原さんが目指し続けた、行けると確信していた夏の甲子園がなくなったのです。
◆高知中央野球部・松原好光部長
「(言われた時)何も考えられないですよね。放心状態です。周りもそうでした。口が開いたまま、涙を流すこともなく。みんなそうでした。寮に帰ってからようやく理解してきて、風呂で1人号泣してました。親からは『いったんお疲れ様』という連絡をもらったんですけど、そのあとは悔しさで全く覚えていないです」
その後県高等学校野球連盟は、高校球児への救済措置として県独自の大会の開催を決めました。松原さんたちも大会に向けて練習を再開しましたが…。
◆高知中央野球部・松原好光部長
「監督は『優勝するぞ』とは言っていたけど気持ち的には劣ってしまいました。野球を高校卒業後も続けない選手は大会前も練習しなかったですから、チームの雰囲気は悪かったです。モチベーションは上がらないですよね」
「何で甲子園がないのか」「秋大会を制して今年こそはと思っていたのに」練習グラウンドには野球への熱意ではなく、甲子園がないことへの怒りが漂っていました。
“高知中央史上最強の代”のはずだった松原さんたちは、準々決勝で高知に敗れ、最後の夏が終わったのです。
松原さんは卒業後、至誠館大学に進学し、野球を続けました。プロ野球選手ではなく、学校の先生を目指して勉強と野球を両立しながら大学生活を送っていました。大学4年生(2024年)の6月には、母校の高知中央で教育実習。高知県の公立中学校の先生になることも決まったなか、今年2月、当時の高知中央・野球部の部長から連絡が来ました。