広島県出身の俳優・綾瀬はるかさん。これまで、TBSテレビ『news23』などで、約20年にわたって戦争に関する取材を続けてきました。
戦後80年のこの夏は、アメリカへ。原爆開発計画の拠点となった街で、計画に関わった一人の医師の足跡を辿りました。人を救うはずの医師が、いったいなぜ…
綾瀬はるかさんの語りで伝えます。

無視された医師の警告…原爆開発の裏にあった思惑

原子爆弾が生み出した町と人の姿が、そこにありました。
何度見ても身がすくんでしまいます。原爆の現実を伝える写真展で、私、綾瀬はるかは一人のアメリカ人大学教授と会いました。

教授の名前は、ジェームズ・ノーラン・ジュニアさん。
祖父は、産婦人科医でした。そして、同時に、原爆開発の関係者でもあったのです。

命を救う医師が何故、原爆開発に加わったのか…、私は原爆開発の拠点だった町に向かいました。

アメリカ・ロスアラモス。
この町で作られた爆弾で世界初の核実験が行われたのです。

町には原爆のための優秀な頭脳が集まります。
ジェームズ・ノーラン・ジュニアさんの祖父、ジェームズ・フィンドリー・ノーラン医師は、科学者たちの医療を担うために移り住んで来ました。
ノーラン医師は、町に来たときは結婚してからまだ数年で、奥さんは妊娠5か月だったといいます。

そして、ほどなくして女の子が生まれます。
まだ原爆との直接の関わりなどはなく、日本との戦争は始まっていても、ノーラン医師には穏やかな日々が続いていました。

ところが1945年、ノーラン医師は新たな任務を担うことになります。放射線の安全管理者として原爆開発に関わることになったのです。

ノーラン医師は関わるとすぐに原爆実験による放射線の危険性に気づきます。
周辺住民への安全対策が必須であるとの報告書を、陸軍・グローブス少将に提出します。しかし…

綾瀬はるか
「原爆開発中、ノーラン医師らは安全対策などを心配して幹部に懸念を伝えていたというふうにお聞きしたのですが」

ジェームズ・ノーラン・ジュニアさん
「祖父の解釈では、グローブス少将はとにかく原爆を完成させたくて、機密保持が最優先でした。健康や安全は二の次でした。医師達の警告を無視したのです」

そして7月、アメリカは史上初の核実験“トリニティ実験”を成功させます。射線の影響など気にすることもなく…