「利用されている」貧しかった少年を“英雄”扱いで戦意高揚

自分がいなくなれば、その分家族の生活費が浮く。龍三少年は、海軍通信学校に入り、飛行機の偵察員になります。そして…

1942年1月、フィリピン。
日本軍が勢いに乗る中で、龍三さんは、大きな功績を挙げます。
敵6機を相手に水上偵察機で空中戦を繰り広げ1機を撃墜。

搭乗員2人が戦死しますが、3列目にいた龍三さんが前の席に身を乗り出し、操縦桿を握って着水させ生還したのです。

顔に大やけどを負った龍三さんですが、この勇敢な戦いが称えられ『故郷に報告してこい』と、凱旋するよう命じられました。

「貧しかった少年が“英雄”として帰って来た」と、今も語り継がれています。

甑島の住民
「その時代では特別ですよ。僕なんかは完全にあこがれていた」
「海岸にいっぱい人が出ていた。みんな興奮していた」

島の図書館に、凱旋の記録が残っていました。そこにはこんな記述が。

「区民も好意と好奇の目で歓迎し、特に戦時中の戦意高揚と少国民の憧れの的となることであった」

小関さん
「戦意高揚というワード、この文字、どう思われます」

梶原五昭さん
「なんか複雑ですよね、利用されている。負け戦ではないよ、打ち勝つんだと鼓舞したいような状態で凱旋も計画されたんじゃないかな」

戦況の悪化に伴い、甑島は繰り返し、アメリカ軍の戦闘機の空襲を受けるようになっていきます。

島の暮らしはさらに貧しく、苦しくなっていきます。

そんな島の人たちに「戦争を続ける気力」を持ち続けさせるために龍三さんは、利用されたと、五昭さんは感じています。

小関さん
「龍三さんは、英雄だと思われますか」

梶原五昭さん
「ではないと思います。成り行きで軍のシナリオで仕立て上げられたもの」