明らかになった“正体” 悲劇の飛行機の搭乗員は
この飛行機は、いったい何なのか…専門家に見てもらうと。

南九州文化研究所・稲田哲也さん
「前の方から1、2、3と区画がありますね」「3人分ありますね」「3人乗りであると」「零式水偵という機体に似ているな」

この機体は『零式水偵』=『零式水上偵察機』と呼ばれる飛行機だったのです。
『零式水偵』の主な任務は「偵察」。滑走路で使う車輪の代わりに、大きなフロートを備えた水上飛行機です。
しかし…見つかった機体にはフロートがありません。また、敵の機関銃に撃たれたような穴もあります。
専門家は、この機体が敵に攻撃されて不時着し、衝撃でフロートが折れて失われたのではないかと指摘します。
取材班が更に調べを進めると、この状況とピッタリ一致する戦闘記録が残されていました。

機体の発見場所から10キロ南の鹿児島県指宿市。
記録には、そこにあった水上飛行機の基地に向かう途中、零式水偵が敵の戦闘機と交戦し不時着、2人が戦死したと記されていたのです。海に眠る零式水偵は、この時の機体だった可能性があります。
小関さん
「あの方かな」

小関さんが訪ねたのは、戦死した搭乗員の遺族・梶原五昭(かじはらいつあき)さん。五昭さんとともに、旧海軍の航空基地の跡地にある慰霊碑を見ると…
梶原五昭さん
「私のおじです」
小関さん
「本当だ。梶原龍三(かじはらたつみつ)さんって書いてあります」
梶原龍三さん。五昭さんの父の弟にあたります。
龍三さんは鹿児島の離島・甑島で生まれました。甑島は大きな産業がない漁業の島。

龍三さんは6人兄弟の3男、やんちゃ坊主で知られていました。
父親は大けがをして働けず、一家は、物乞い同然の日々を強いられたこともあったそうです。
梶原五昭さん
「食うや食わずの生活で虐げられて『俺はこんな生活は嫌だ』と。小学校を卒業したら海軍に志願して出て行った」
小関さん
「海軍に入るとお金がもらえるものだったんですか」
梶原五昭さん
「というより食いぶちを少なくできる」