1945年8月15日、終戦を知らせる玉音放送の後に、爆弾を積んだ飛行機で敵に体当たりする「特攻」に向かった若者たちがいました。
あの日、何があったのか…
若者を戦争に向かわせた「空気」とは…
俳優・奈緒さんが一人の特攻隊員の足跡を辿りました。
大切な人を置いて・・・なぜ若者は「最後の特攻」に出撃したのか
約4000人の命が奪われた航空機による特攻作戦。その中に、終戦を知らせる玉音放送の後に出撃した22人の若者たちがいました。もう戦争は終わったというのに、命をかけて「最後の特攻」に出たのです。
この夏、俳優・奈緒さんは、「最後の特攻隊員」の足跡を辿るため、福島県いわき市を訪れました。

奈緒さん
「これは最後の特攻隊として飛び立つ直前に撮られた写真なんですね。写真の左側に写っていらっしゃる、この方が福島県いわき市で育った大木正夫さん。皆さんのこの笑ってらっしゃる表情がとても印象的で、少しでも深く知りたいと思ってここに来ました」


奈緒さんが訪ねたのは、「最後の特攻隊員」大木正夫の親族、道脇紗知さん。
曽祖父の弟が大木正夫、この時21歳でした。

道脇さん
「終戦の日に特攻に出撃した人いるの、なんで…もう終わったんだから行く必要ないじゃんって」

道脇さんは、元特攻隊員ら関係者30人以上に話を聞き、大木の思いを探りました。
奈緒さん
「大木正夫さんはどういう方でしたか?」
道脇さん
「勉強が良くできて、面倒見もよい、優しいお兄ちゃん」

10代の大木正夫には、大切な人がいました。大木が地元で働いていた時の同僚・芳子さんです。
なぜ大切な人を置いて「最後の特攻」に出撃しなければいけなかったのか…