「被爆者たちが歴史の証人としていなくなる日もいつかは来るでしょう」
広島市・平和記念式典
「One Voice たとえ一つの声でも大人だけでなく子どもである私たちも平和のために行動することができます」
島根県の原爆死没者を追悼する集い。この日参列した被爆者は2人。
被爆者の高齢化と減少は顕著で、全国の被爆者の数は、今年初めて10万人を割り込みました。島根の被爆者は405人。平均年齢は90歳を超えています。

被爆者
「みな1世は年をとって、本当にその場に(原爆被害に)遭って実感した、自分の体に憶えた、苦しみ・痛さ・悲しさ・くやしさ…長生きして話さないと」
本間恵美子さん
「80年間がんばっていらした被爆者の皆さんの思いを受け止めないといけない。そのことに応えるために、私たちが今度は次の世代に伝えなくてはいけないと思っています」
本間さんが見つけた役割。
それは「被爆者の声を聞き、遺すこと」。それを「次の世代に伝えていくこと」。
本間恵美子さん
「どうも。佐々木さん今日はありがとうございます。お久しぶりでございます」
この日、本間さんは、最近になって被爆体験を話す気持ちが芽生えたという被爆者に話を聞くことに。

佐々木さん「これが被爆してから…」
本間さん「罹災証明書…」
佐々木さん「父が大事に…ヨレヨレになってたのを残してありました」
本間さん「これは貴重ですね。」
松江市の佐々木シノブさん、89歳。
佐々木さんは9歳だった当時、家族と暮らしていた長崎で被爆。その瞬間は防空壕にいたといいます。

「髪の毛が糊で張り付けたようになって(頭が)ベタッとなったような人が(防空壕に)入ってきました。みんな途中でやられたんでしょうね」
「ずっとね『絶対話さない』って思ってたんですけどね、子どもたちが『聞きたい』って言いましてね」
雲南市で開かれた講演会。多くの世代が集まり、本間さんの話に耳を傾けました。
本間恵美子さん
「どこかが核を使えば、地球は滅びてしまうという、そういう危機感を私たちは持つべきだと思います。フリードネス委員長が、なぜ(被爆)80年目に賞をいただくのではなく、79年目だったかという質問に対して『79年目だったから差し上げたんです。80年に向かっていろいろ活動して欲しい』。そういうことを深く受け止めながら、私たちもがんばっていかなくてはいけない」
大学生
「どんなに自分がきつくても写真とかお話とか、ありのまま聞くっていうのがいちばん大事だなって改めて思いました」
「僕たちみたいな若い世代が当事者意識を持って戦争の記憶を継承して、平和について考えることが大切だと感じました」
【"伝える"地道な活動 パネル展】
来場した母親
「けっこうショッキングな絵とか写真も展示されているので…5歳の息子がいるんですけど『戦争って何?』ってこないだ言われて。どう言っていいのかわからなくて。入口がちょっと難しいなとは思うんですけど」
本間恵美子さん
「今からは考えられないけど実際にあったことで、こんなかわいい子を見てたら決してそんなことあっちゃいけないって思いますよね。ね」
子どもの、母の、すべての人々の笑顔を守っていくためにー

本間恵美子さん
「私たちは一人では何もできないかもしれません。しかしながら…みんなが少しずつでも前へ進むように考えれば、それが大きな輪になって大きな力になって、やがては世界に届くという風に考えて参りたいと思っております」
本間さんが被爆者から受け継いだバトン。
それを受け取るのは、私たち、ひとりひとりなのです。