「お母さん死んじゃったわよ」
気づけば爆撃機の姿はなく、夜が白々と明け始めていました。野田さんは周囲を見回すと、自分はまったく見ず知らずの家族と一緒に逃げてきたことに気づきます。呆然としていると、姉の姿を見つけました。まさに奇跡でした。
野田さんは姉と2人、母親が迎えに来てくれるかもしれないと待ち続けましたが、夕方になっても誰も来ません。姉は「帰ろう」と言いました。しかし、帰り着いた鴨江観音近くの防空壕周辺は、変わり果てた「灰色の死の世界」でした。

「生きているっていうか、生命のあるもの、命のあるものは自分たちしかない。草1本もなかった」
すると、前から2人の女性が歩いてくるのが見え、野田さんはほっとしました。これで助かる、と。しかし、彼女たちからかけられたのは、あまりにも無慈悲な言葉でした。
「『あら、あんたたち生きてたの?』って。頭のてっぺんから膝の先までじろじろ見て、『お母さん死んじゃったわよ』と言って、そのまま立ち去った」。その時の絶望感は、今も忘れられないと語ります。
真っ白な棺の上に落ちた涙
母親は、野田さんが押し出された防空壕の近くで見つかりました。亡骸はきれいなままだったといいます。大人たちからは「見ない方がいい」と言われたものの、そっと遺体を覆う布をめくると、そこには見たこともない綺麗な花柄の着物がかけられていました。「これはお母さんじゃない」。野田さんは必死に辛い現実を否定しました。
埋葬の日。穴の中に降ろされた真っ白な棺に、姉と2人で砂をかけました。その時、姉の涙がポトポトと棺の上に落ちるのが見えました。「本当声も出さず、涙だけがポトポトと…『ああ、お姉ちゃん泣いてるんだ』と。私はそれまで甘えん坊だったのに、泣かなかった」。次から次へと起こる辛い出来事に、感情が追いつかなかったのかもしれません。