忘れたくても、忘れられない記憶があります。
浜松市に暮らす野田多満子さん(87)にとって、1945年6月18日未明のことは、他の多くの記憶が薄れても、きのうのことのように、鮮明に脳裏に焼き付いているといいます。1717人が犠牲となった浜松大空襲。当時7歳だった少女の目に映った現実です。

当時、野田さんは国民学校の2年生でした。しかし、学校で勉強したという記憶はほとんどありません。「登校しても、警戒警報や空襲警報が鳴るとすぐに家へ帰らされていた」という野田さん。幼い少女の日常は、戦争の影に覆われていました。

悪夢の前日6月17日の昼間は、珍しくサイレンの音も聞こえず、静かだったといいます。寝る時、母親が「きょうは静かだったから、ゆっくり寝れそうだね」と話していたのを覚えているといいます。その言葉に安心して眠りについた矢先のことでした。

「どうやって起きたのか記憶にないがとにかく飛び起きた」
ワンピース1枚を羽織って外へ飛び出すと、信じられない光景が広がっていました。