「人間の洪水が…」

「向かいの家に爆弾が落ちて、もう火の火柱が屋根を突き抜けて上がっていた」。夜の闇を切り裂く火柱が、向かいの家の中を隅々まで照らし出し、狭い路地を人々が逃げ惑う姿が見えたといいます。野田さんは近くの雑木林にあるほら穴へ向かおうとしました。しかし、高台になっていたそこから見えたのは、絶望的な光景でした。

「もう見渡す限り、もう180度火の海…それがどんどん、どんどん自分に押し寄せてくる感じだった」。自分の立っている場所以外、すべてが炎に包まれていく。子供心に「ああ、もう逃げ場がないな」と直感したといいます。

ここにいては危ないと自宅に引き返すと、母と姉が鴨江観音近くにある防空壕へ向かうところでした。命からがら壕にもぐり込みましたが、安堵も束の間、「壕の上に焼夷弾が落ちたぞ」という声が響きます。「こんな中にいたら焼け死んじゃう」。人々はパニックになり、我先にと外へ逃げ出します。

「ちょっと、待っていて。ちいちゃんを連れてくる」。野田さんの母親は、そう言い残し、足が不自由で避難が遅れていた知人の「ちいちゃん」を助けるため、人の波に逆らって壕の中へ戻っていったのです。野田さんは人の力に押されるまま、姉ともはぐれ、気づけば大通りへ。そこは、道幅いっぱいに人々がひしめき合う、まさに地獄絵図でした。

「人の洪水、人間の洪水がダーっと流れているようで。押されて、押されて、その中に吸い込まれた」。野田さんは逃げ惑う群衆に囲まれ、辺りは何も見えません。ただ、転ばないように、踏み潰されないように、前の人の足だけを頼りに無我夢中で、佐鳴湖の方向へと走りました。

どのぐらい逃げたでしょうか。突然、群衆が突然割れ、そこには、もんぺに火がついて、路上に倒れている女の子の姿が目に飛び込みました。男の人が慌てて火を叩いて消そうとしますが、熱気と風で炎はさらに燃え上がったといいます。わずか数秒の出来事でした。

「オレンジ色の火の粉が降り注ぎ、人がバタバタと倒れていく。私もあの火の海の中に吸い込まれていくのではないか」。立ち止まることのできない恐怖の中、野田さんは、ただ生きるために走り続けました。