当時の記録は付近の小学校にも
工事の影響は周辺住民たちにも及びました。屯鶴峯から約2キロ離れた地元の小学校には当時の記録が残されています。
(香芝市立二上小学校 澤田和智校長)「(1945年)6月18日、軍隊宿舎として本校舎を転用につき、児童を移すということで、それぞれの教場が書いてあるという記述が残っています」
地下壕を掘るために集められた兵士たちは、小学校に寝泊りしました。そのため子どもたちは、近くの神社や寺に分かれて授業を受けることになりました。
(澤田和智校長)「子どもたちがいろんな場所に分かれて学んだり、生活しないといけないことを考えると、やはり不安や寂しい思いをしていたのではないかなと考えますね」
物資も少ない中で行われた突貫工事。本来は天井や壁をコンクリートで固める予定でしたが、完成することなく終戦を迎え、実際に使われることはありませんでした。