90歳、最後の慰霊登山 娘に「ごめんね」

2019年8月、90歳になった親吾さんは最後の慰霊登山に挑んでいた。田淵夫妻は毎年8月12日の命日だけでなく、開山の春、閉山の秋の年に3回、御巣鷹の尾根に登ってきたが、輝子さんは大病を患い、前年を最後に登ることを断念している。
新人記者として2003年に田淵夫妻と出会った私(筆者)は、その後の16年間、仕事ではなくプライベートで毎年3回必ず休みをとって夫妻の慰霊登山に同行した。かつてはペットボトルを5、6本担いで山道を進んだ親吾さんは、もはや自力では登ることができない。両手に杖をついてなんとかバランスを保つのがやっとである。ベルトをつかんだ私に持ち上げられるようにして一歩、一歩前へ進み、休息ポイントがある度に涼をとった。

息を切らして娘たちのもとに辿り着いた親吾さんは、両ひざをついて墓標に頭を下げて手を合わせた。そして、一言つぶやいた。「ごめんね」

「良いお供えができて満足や。ありがとう」。最後の慰霊登山に、親吾さんの涙はなかった。90歳の体力の限界まで御巣鷹の尾根を登り切った男の顔があった。
今年5月、親吾さんは娘のもとへ

今年2月、私は奈良県の介護施設に入所している親吾さん(96)を見舞った。親吾さんの末の弟から「いつ亡くなってもおかしくない状態」と連絡をもらい、面会させてもらったのである。
親吾さんはすでに言葉を発するのが難しい状況だったが、私の手をしっかりと握り返してくれた。親吾さんが山に登れなくなって以降、私は毎年5、6回、御巣鷹の尾根に登って墓標の写真を送り続けている。病床の親吾さんにその写真を見せると、目を見開き食い入るように見つめていた。
「40年間、本当に頑張りましたね。僕がこれからも御巣鷹山に登るから安心してくださいね。90歳までは無理かもしれないけど…」
介護施設を出る私に最後まで手を振って見送ってくれた親吾さん。3か月後の5月、3人の娘たちのもとへ旅立った。