
単独の航空機事故としては世界最悪の520人が亡くなった日航機墜落事故。1985年8月12日、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した航空機には田淵陽子さん(当時24)、満さん(19)、純子さん(14)の3姉妹が乗っていた。母の輝子さんは錯乱状態に陥って長年、アルコールに依存するようになり、娘の死を否定することでなんとか命をつないできた。夫の親吾さんは暴れる妻をただ黙って抱きしめ、何があっても守り続けてきた。その親吾さんは今年5月、96歳で亡くなった。葬儀では気丈に振る舞っていた輝子さんだったが、出棺の際に声を上げて泣いた。事故から40年、夫婦は悲しみを抱きながら生きてきた。(TBSテレビ 西村匡史)
炎に包まれた3人の娘 墓標に水をかける夫婦

手にもった杖を支えに一歩、また一歩と山道を進む老夫婦がいた。2003年8月12日、田淵親吾さん(当時74)、輝子さん(当時69)夫妻は、日航機墜落事故の現場である群馬県上野村の御巣鷹の尾根に眠る3人の娘の墓標を目指していた。高齢にもかかわらず水を満タンに注いだ2リットルのペットボトル計5本を担いでいた。

夫妻は登山口を出発してから約2時間後に墓標に到着。事故機の残骸から見つかったフィルムを現像し陶板に加工して墓標に貼り付けた3姉妹の写真(事故3日前)をじっと見詰めた後、ペットポトルの水をかけ始めた。苦労して運んできた水は、炎に包まれて亡くなった娘たちを冷やすためのものだった。
「熱かったね、熱かったからね。姉ちゃん、みっちゃん、純ちゃん熱かったね。ごめんね、ごめんね」
輝子さんは涙を浮かべながら、墓標を優しく撫で、水をかけ続けた。
「この子たち、みんな焼け焦げた状態で見つかったでしょ。生きているうちに火に包まれて苦しい思いをしながら死んでしまったのではないかと、思っちゃうのよ。助けてあげられなかったから、せめて水だけでもかけてあげたいの」