貴方は生きるのが自然でしょう

寺があった油山には戦争末期、海軍の防空隊があり、終戦直後、二人の将校が自決していた。あまりに立派な最期にふもとの村民が感激し、盛大な葬式をして米軍から叱られたというエピソードがあった。この二人が自決のために山に入っていくのに気付いた住職は、その時、止めることはなかった。しかし、冬至には「生きよ」と自決をとどまらせる住職に、その理由を尋ねた。
<冬至堅太郎「苦闘記」(1952年)より>
和尚「貴方は生きるのが自然でしょう」
冬至「どうしてでしょうか」
和尚「それならたずねますが、貴方は生きたいと云う気持ちは全くありませんか」
この反問には困ったがいい加減なことは云えない。私はあっさり白状した。
冬至「あります。本当は死にたくないのです。嘘をついても、人を陥れても、自分だけは助かりたいと思うのです。私の中にそのような気持ちと、男らしく死にたいと云う気持ちがこんがらがって、どちらがほんとうの自分かわかりません。このまま米軍に捕らえられ調べられると、助かりたい一心で何を云うかわかりません。そんなことになったら大変です。自決したい理由の一つはそのこともあるのです」
和尚「ハハ・・・、そうでしょう。しかし自分でそれだけ考えておられれば、どんな場合にも取乱されることはありません。安心して生きて下さい」
冬至「大丈夫でしょうか」
和尚「大丈夫ですよ」
死刑を覚悟 愛ゆえに真実が言えない

自決を選択せず、米軍に素直に連行されてスガモプリズンに入所した冬至だったが、やはり死ぬのは怖い。判決の日が刻々と近づくにつれ、日記を書く分量が増えていく。福岡から何日も汽車に乗って、妻・安余(やすよ)が横浜裁判の傍聴に来た。冬至は、死刑を覚悟していたが、面会に来た妻にはそれを言えない。
<冬至堅太郎の日記 1948年12月19日日曜 晴れ>
○安余面会に来たる
安余よ、私を嘘つきと君は責めるだろうか。どんなに後で責められても私はそうするより仕方がなかったことを判って欲しい。私が君を愛すれば愛する程、私には真実が言えないのだ。
それは君とても同じだと思う。君は幾度か「早く帰ってきてください」と言い、「帰ってらしたら洋服を新調なさらなくては」とも言ってくれた。しかし君は私の運命が風前の灯であることをよくよく承知していることを私は知っているのだ。それをつとめて隠そうとするのは、君の私に対する愛ゆえと私は信ずる。
安余、明日法廷では軽い気持ちで別れよう。