1945年、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に無条件降伏した。8月15日は「終戦の日」だが、この日に「戦争の終結」を迎えなかった人たちがいる。戦犯、戦争犯罪人として戦争の責任を負わされた人たちだ。終戦の翌年、1946年に米軍に拘束された福岡県出身の冬至堅太郎。西部軍で捕虜となった米兵4人を処刑した冬至は、入所した日から6年分の日記を残している。横浜軍事法廷で死刑を宣告された冬至の生涯を追ったドキュメンタリー映画が、8月15日からキノシネマ天神で上映される。
和尚は死ぬなと言われました

冬至堅太郎は博多商人の町、福岡市の川端通りに店を構える和文具店の家に生まれた。1944年2月、福岡市におかれた西部軍に主計中尉として臨時招集。翌年の6月19日、福岡大空襲で母を失った翌日、司令部の大工小屋で母の棺を作っていたときに、敷地内で行われていたB29搭乗員の処刑に気づき、自ら志願して米兵を斬首した。4人を手にかけた冬至は戦後、戦犯として捕らわれることを予想し自決も考えたが、油山にある寺(大悲閣)の住職に説得され、生きることを選んだ。

<冬至堅太郎「苦闘記」(1952年)より>
和尚「なぜ自決なさるのですか」
冬至「敵に捕らえられ罪人として殺されるのはいやですし、あとに残る家族の名誉のためにも軍人らしく自決したほうがいいと思います」
和尚「ハハ・・・そんな見栄はおすてなさい」
冬至「?・・・」
和尚「敵とか味方とか、一家の名誉とかそんなものにとらわれなさるな。武士道なども仏の道にくらべると随分せせこましいものですよ」
冬至「・・・・・」
和尚「仮に貴方が生き永らえるとしてもせいぜいあと五,六十年の命でしょう。天地の悠久に比べると誰も彼も一瞬の命にすぎません。その短い命を更に縮めるような小細工はなさるな」
冬至「・・・はい・・・」
和尚「生きなさい。短いが仏に頂いた大切な命です。辛くても生きなさい」
冬至「はい」