寄り添う2本の木 込めた思い
八幡さんは公務員時代、後輩にこう助言していたという。
「住民から問い合わせがあったとき、すぐに説明できるように準備しておくことが公務員の第一歩。特に相手の立場になって説明すること。例えば、自分が勤務する庁舎に向かって道案内を求める電話があったら、相手の現在地を聞き、“進行方向右手に〇〇が見えたら、左に曲がって”というように、住民の目線に立った説明ができるよう心がけておこう」
「今回の上川路さんの説明は、まさにこの通り。池田湖では、どこにでもありそうな風景であったにも関わらず、地図に矢印をつけ“この位置からこのように撮ったと思います”と書いてくれました。その案内の通り、その位置に立ってびっくり。本当に感動しました。日ごろから、市民の皆さんへ誠実に向き合って仕事をされているのだと感じました。改めて感謝したいと思います」(八幡さん)
一方の上川路さん。「八幡さんは、ご両親への思いがとても深かったので、そこを汲みながら丁寧に対応しようと思っただけです」と話す。
来年12月に発刊予定の市史・史料編に向けて、観光や農業、暮らしなど様々な分野で調査と執筆を続けている。「市史って1人1人の人生でできていると感じるんです。」(上川路さん)
広報いぶすき5月号の「前略、市史編さん室より」には、八幡さんから調査を依頼された出来事を軸に、昭和51年2月、1日で513組の新婚客が宿泊した指宿いわさきホテルの記録を交えて読み物にした。
編集中の市史・史料編には、指宿の観光や産業、農業などの基盤を作った個人のエピソードを収録する。県外からの新婚旅行地として賑わった昭和の時代は、指宿の街にとっても青春時代と言える。市の偉人たちだけでなく、「街の青春の記憶」として、八幡さん家族の写真をめぐるエピソードも入れたいと思っている。
寄り添う2本の木、込めた思い
指宿市の高台にあるメディポリス国際陽子線治療センターには、今年、2本の桃の木が植えられた場所がある。無事に治療を終えた八幡さんが、センターにお願いして植樹させてもらったものだ。2本の桃は、海を望みながら寄り添うように並んでいる。
「父に対する思いと、母の記念に。父と母と思って植えさせてもらいました」(八幡さん)
新婚旅行の3月には、白い花とピンクの花が咲くという。














