「人間が人間として死ねなかった」川原征一郎さんの証言

川原征一郎さん(83)「4歳に近い3歳ですから、はっきり記憶があるんですよ。テレビなんかで災害でペシャンコの状態の映像を見るでしょう。フラッシュバックして思い出すんですよ。原爆を思い出すんですね」

天草市で暮らす川原征一郎さんは、あの時、長崎で、爆心地から約1.3キロの自宅で被爆し、命を取り留めました。

川原征一郎さん(83)「山の上に防空壕があるんですよ。防空壕に入ったけれど防空壕にはたくさん人がいたんです。だから入り口付近にちょこんと座った感じですね。ところが外ではまだまだ機銃掃射でバンバン撃たれるわけですよ。怖かったですね。馬が真っすぐ立って真っ黒こげで死んでいるとか、人間は目が飛び出して垂れているわけです。目が飛び出しているから抑えるために、こうして・・・そういう状態を覚えていますね。人間が人間として死ねなかった、虫けら同様に」
その後、川原さんは熊本県の天草に移り住み、20年以上水族館の館長を務めました。
地域の幼い子どもと接する中で、印象的な出来事がありました。
川原征一郎さん(83)「『おじちゃん、何で大人は戦争ばすっと?』来るべきものが来たと思いました。そういう話がくるチャンスを待っていたんですよ。子ども達との会話に取り入れたのが、折り紙でした。これは私が『羽ばたく鶴』を考案したんです。前を持つでしょう・・・羽ばたくんですよ。

平和を祈る『折り鶴』に、命を吹き込んだのです。
川原征一郎さん(83)「折り紙を教えながら『おじちゃんは3歳のときに原爆におうたとばい』と話をすると、よく聞いてくれるんです」
9月には84歳となる川原さんには夢があります。

川原征一郎さん(83)「〜世界の国々の子供達へ〜これをニューヨークで話したいですね」
それは、日本語と英語で書かれた川原さんから私たちへの「手紙」です。




川原征一郎さん(83)「過去の事実は変えられないが、私たちは編み直すことはできる。人を憎まず、起こした事柄を憎むという編み直し作業は、人としての知恵であり、原爆を反省し歴史として役立てることになる。これがかつての3歳児が辿り着いた平和への思いだ」