「抱きしめたら崩れてしまって」浦田藤枝さんの証言

「こんなカンカン照りの日でしたねちょっと曇ってたかなぁ」

80年前の8月9日。15歳の女学生だった浦田さんは、前日に疎開先から一時帰宅していた祖母と妹をもてなすため、母親と2人で買い出しに出ていました。

その帰り道のことでした。

浦田藤枝さん(95)「時計を見て『もう11時だよ 遅くなったよ』と言ったらキーーンという音がした。入道雲の間からB29がキラキラ光っていた。『落下傘が落ちてきた』と言って私がぼーっと見てたら母が竹藪の中に引っ張りこんで『伏せなさい!』と言って。伏せたのと一緒にピカーッと目の間から光が入って、ワーーッと言っているうちにドーーンと音がして。その音が何とも言えない大きな音だった。伏せていたらドンドン地響きがして」

しばらくして訪れた静寂の中で顔を上げた浦田さんが見たのは、はげ上がった山、そしてもうもうと上がる原子雲でした。

浦田藤枝さん(95)「家の方へと坂を下りて行った。下からどんどんけが人が上がってくるんです。いちばん最初は中学生だった。上は丸裸、黒いというか赤いというか、焼けただれて。筋肉が赤いトマトの皮をむいたようにじゅくじゅくと見える」

地獄のような惨状の中、自宅を目指すも炎で近づけず、ようやく辿り着いたのは、翌日のことでした。爆心地から約700メートルの場所にあった家は跡形もありませんでした。

浦田藤枝さん(95)「何もない、柱一本なかった。ポツンと黒いごみ袋のような塊がひとつだけあったんです。真っ黒こげだったけれど1センチくらいの布が残っていたんです。8歳の妹が朝から着ていたブラウスの布だったから。『光江!』と抱きしめたら、まだ熱い胸のあたりは生焼けで燃えていた。抱きしめたらボロボロと崩れてしまって。母はそこから動かなかった。

浦田藤枝さん(95)「これが被爆した弟たち。この5人が亡くなっているんです。この子と、5歳と・・・」

『家族はここにいる』浦田さんは瓦礫と灰をかき分けて骨を探し出し、生前の特徴と照らし合わせて自宅に残っていた家族5人のうち4人を見つけました。

※浦田藤枝さんは原爆で家族5人を亡くしたが、その中で妹で次女の信子さんは見つかっていない。

原爆で友人も多く失った浦田さんは、親友の母親から向けられた言葉が、今も忘れられません。

浦田藤枝さん(95)「何であんたが生きとると?うちの子は死んだのに。走って私が逃げて帰ったらしばらくして追いかけて来られて、抱きしめられて『ごめんね』と」

その後、結婚が決まっていた夫の親族を頼り、熊本県玉名市へ。原因が分からない体調不良を繰り返し、日々を生きるのに必死でした。

家族を失った悲しみに向き合い、涙を流したのは、熊本で被爆証言を求められたとき・・・原爆投下からすでに20年以上が経っていました。

浦田藤枝さん(95)「核兵器は何もいいことがない。人間も土地も全部滅ぼしてしまいます」