80年経った今も鮮明に残る「空の青」 B29の飛行機雲をみんなで見上げた8月6日

80年前の8月6日。
当時、広島第一高等学校・通称“県女”の2年生だった河田さんは、学徒動員のため、朝早くから飛行機の部品を作る工場に出ていました。あの日の朝の情景を、いまも鮮明に覚えているといいます。

河田和子さん
「誰かがね、空襲警報解除だったのに、なんで飛行機雲がきれいに引いてるのって言うから、みんなさっと窓のほうへいった。な真っ青の明るいきれいな空に、飛行機雲がずーーーっと、B29が1機飛んでるわけ。おかしいねえって言って、みんな窓から離れた途端に、閃光だったんです。オレンジ色の閃光が走りましてね。危機一髪ですね。あっちをむいていたらみなさん大やけどをしたと思うんですけど」

間一髪、大きなけがはなかったという河田さん。帰宅しようとしましたが、自宅は市の中心部。爆心地から500メートルの大手町にありました。「帰りたい」と一緒にいた先生に訴えましたが「帰れるわけがない」と止められます。広島市中心部は、火の海だったからです。

道中、黒い雨も浴びながら、なんとか市外の疎開先へ避難した河田さん。そこで偶然、外出していて無事だった母親と再会します。しかし不思議なことに、何の感情も沸いてこなかったのだと言います。

幼少期の河田さんと母親

「母は驚いて私に抱き着いてきましたけど(自分は)生きてるからうれしいとかね、会えたとかっていう感情は起きなくて。ああ母がいるわって、それだけ」