戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。太平洋戦争では、海軍の特攻作戦で多くの若者が命を落としました。元特攻隊員の茶人が102歳になった今も、茶を振る舞い続けるわけとは。

千玄室さん
「もう誰もいません。ぼくらの仲間は私1人になった。生き残った人はみんな死んでしまった」

裏千家の前の家元、千玄室さん(102)。海軍の元特攻隊員です。

1943年、日本が敗走を重ねる中、不足する兵力を補うため、大学生は陸海軍へ入隊することなりました。「学徒出陣」と呼ばれ、大学生だった千さんも海軍に入隊。そして、1945年3月、特攻隊員を志願しました。

千玄室さん
「こんなんかなわんと。本音は。歩兵にいった連中はどんな目にあっているか。それ思ったら何とも言えない」

爆弾を抱えた戦闘機が艦船をめがけて急降下する「特攻」。「出撃すれば確実に死ぬ」。千さんが我が身を重ねたのが先祖の千利休。時の権力者、豊臣秀吉の命令で切腹しました。

千玄室さん
「利休居士は腹を召された。私は15代目でまた腹を召さなあかんかなと。さみしそうなおふくろの顔が出てきてね」

千さんは言います。「みんな本当は死にたくなかった」。

特攻機のそばで開いた茶会の写真です。仲間が立ち上がり、叫びました。

千玄室さん
「『お母さーん』とみんなが叫んだ声が、私の耳の奥に残っています。『おふくろに会いたいなあ』と、みんな涙流しながら。思い出しますね、みんなの声が。みんな突っ込みました」

仲間が特攻で命を失う中、千さんには待機命令が続き、終戦を迎えました。

戦後、裏千家の家元となった千さん。「茶を介し、敬いあって交流すれば、国同士も争わなくなるはず」との思いを胸に茶会を開き続けています。根底にあるのは仲間たちへの思いです。

千玄室さん
「80年間、慙愧の念に堪えず、私は生き残ってきた。お茶をすすめ合う気持ち。アフターユー、どうぞ、どうぞ。本当の心のもてなし、大事なことなんです。これを私は世界中に伝えてきている。“千よ、お前残ってな、お前のお茶で、武は負けたけど文でやれ、文で勝て”。みんなの声が聞こえますよ」

千玄室さん、102歳。特攻隊員だった茶人がたどり着いた境地です。