「書道」とかけ離れたその後の半生「将来の夢は漫画家」だった

そこから45年間は、書道からかけ離れた環境に足を踏み入れ、高校時代は空手選手として国体に出場【画像⑪】。その一方で将来の夢は漫画家でした。

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しかし漫画家の道を歩もうとするも、父、達郎さんに反対され断念。18歳で故郷の津山を離れて、大阪のホテルに就職しました。

25歳で同僚の智史さんと結婚してからは、仕事と子育てで忙しく、筆をとる暇はありませんでした【画像⑫】。

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そんな国枝さんが47歳の時でした。

(書道家 恵(国枝恵子さん))
「夫と一緒にカフェをやりたいって想いがあって。で思い切ってカフェをしようって、夫が46ぐらいの時ですかね。あと銀行さんに手続きを終えるとスタートって時に、夫に胃がんが見つかって」

「そこから半年で夫が亡くなってしまった」【画像⑬】

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子ども2人を残して、最愛の夫が亡くなったのです。その時の国枝さんを、兄、博さんは。

(国枝さんの兄 服部博さん【画像⑭】)
「一馬力になったんで、心配は心配でしたけど、昔から負けず嫌いなところがあるんで、なんとかなるんかなぁって見てました」

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