閉ざされていた扉

入口の扉は、先に逃げ込んだ人たちによって閉ざされていた。「お願いです、入れてください」何度も扉をたたきながら懇願すると、ようやく扉が開き、庄司さん一家は無事、中に入ることができた。真っ暗闇の防空壕では、身を潜める人たちの息遣いが聞こえたが、いったい何人いるのか、防空壕がどこまで伸びているのか全く見当がつかなかった。入口付近には、ベンチのような段差があったといい、庄司さんはそこに座り、時間が過ぎるのをひたすら待った。真上からは「ドーン、ドーン」という音が聞こえていたが、防空壕の天井が崩落することはなかった。

仙台市戦災復興記念館所蔵

庄司さんは、夜が明けるのを待ち、防空壕の外に出た。街の姿は変わり果てていた。少し歩くと、焼け焦げた遺体が1人横たわっていたという。5歳ぐらいの少女に見えた。「親とはぐれてしまったのか」そう思う一方、「あの時、もし自分も防空壕の中に入れなかったら…」恐ろしい思いがした。

庄司誠さん(2022年取材)

今回見つかった地下の巨大防空壕に当時、何人が逃げ込んでいたかは公式の資料がなくわかっていない。「ぎゅうぎゅう詰めだった」との証言もあり、多くの命を救ったことは間違いない。