3月8日は国連が制定する「国際女性デー」。女性の権利を守り、活躍を支援するための記念日だ。しかし、女性が求める環境は女性には自明でも、社会の約半分を構成し、中心的に支援をする側にいる男性にはなかなか分からないようだ。いったい女性と男性の間を隔てる壁はなんなのか?壁を崩し、お互いを分かり合うことはできないのか?社会的な“女性”と“男性”の両方を経験したトランスジェンダーの杉山文野さんに聞いた。
■“女性”と“男性を”隔てるものは“服”からだった
ーー杉山さんは、もともと“女性”として生まれたんですよね?自分の性を意識したのはどういうきっかけだったのですか?
幼稚園の入園式のときに、親にスカート履かされて泣いていました。少なからずその年には、スカートというのが女性の象徴の一つであって、自分はそれじゃないと感じていたんだと思います。2歳から始めた水泳は体の変化が出始めたらもう女子の水着も絶対嫌だなってやめてしまう。姉がバレエをやっていたのですすめられたけど、ピンクのレオタードは勘弁してくれということでやめてしまう。剣道もやってみたけど、男の子たちは黒の胴着なのに、女の子は赤胴に白袴、それが嫌で辞めてしまいました。そんなときに出会ったフェンシングは、男女でユニフォームの差がなかった。これが僕が続けられた大きな理由でした。もちろんこれだけではないですが、服装は幼少期から男女を隔てる大きなものだったとも思います。
■“男性”になって遭遇した別世界
ーー“女性”に違和感を持ち、“男性”として生活を始めて、何か差は感じましたか?
高校のときにカミングアウトをし始めたんですが“女性”と“男性”は別世界でした。“女性”は冬の寒いときだって制服でスカートを強要されて、通学の電車では多くの同級生が毎日のように痴漢に遭っていた。でも被害にあったという話をすれば、スカートを短くしてるあなたがいけないと、先生をはじめまわりの大人に言われます。女子の同級生が、予期せぬ妊娠をして、人に言えず、本当に悩み苦しみ、精神的にも、経済的にも大変な思いをしている姿を目にしたことは1度や2度ではありません。
一方で、“男同士”の話の輪の中に入ると「あいつを妊娠させてやったぜ。俺、命中率高いからな」と、まるで自慢話かのように話している場面に遭遇しショックを受けました。しかし、「それは酷いだろう」とその場では言えませんでした。カミングアウトによってせっかく男性コミュニティの仲間入りをしはじめたのに、もしそう言ったら、結局お前女だよな、みたいなことを言われるのが嫌で、黙ってそこにいました。これは極端な例かもしれませんが、当時は、何とか自分を男性社会に合わせようとしていたのだと思います。
■根性、気合、風俗・・・男らしさの先に
ーーなりたかった“男性”に対しても違和感があったということでしょうか?
当時は言語化ができていなかったですが、何かこうもどかしいというか、嫌だなみたいな感じはありました。一緒にタバコを吸いに行く、女の子の話をする、下ネタをいう、合コンする、みたいなことに一緒に付き合うというのが、男としての仲間の証明になっていたように思います。
もちろん、すべての男性がそうではないと思います。ただ、僕は28歳で初めて就職をして飲食の業界に入ったんですが、そこは本当にすごい男社会でした。朝から、次の朝まで休みなしで働いて、仕事で疲れ果てた帰りに、先輩から風俗に行くぞみたいなノリがありました。僕なんて風俗に連れて行かれたってどうしたらいいのよ・・・って。でも上司の誘いは断れないし。結局お店にいっても、部屋に入れば強制的にカミングアウトしなきゃいけないし(体は男性ではないので)、話したら話したで逆に担当の女の子の身の上相談がはじまっちゃったり。それで部屋を出たら何万円と払って店を出て、先輩の男性たちが、「お前の女はどうだったんだ?」などと聞かれる。何やってんだかなあと思いました。ただ、そうでもしないと、“男性”として認めてもらえないのかなって思ってました。
一方で、結婚や出産する同級生も増えたころだったので、久々に女子校時代の同級生と話せば「子どもが産まれたばかりなのに仕事が忙しいと言って旦那が全然家に帰ってこなくて本当に大変で・・・」と。あんなにイキイキと仕事してたのにママになってからはいろんなことに疲れ果てている友人を見ながら、この差はいったい何なんだろうと感じずにはいられませんでした。