軍事政権下の韓国で過ごした子供時代

張済国さんは、1964年韓国・釜山市で生まれた。
日本と韓国が日韓基本条約に調印し国交を正常化する前年だ。
高校卒業までを、軍事政権下の韓国で過ごした。
言論の自由はなく「統制された」情報しか入手できなかったが、当時釜山は電波状況が良く、韓国内では唯一、福岡や長崎・対馬から流れてくる日本のテレビ番組が視聴できる場所だった。
日本のニュースでは、韓国国内の事情がフィルターなしに報道されていて、韓国人が知らないニュースを知ることができた。
忘れられないのは軍が市民に発砲した1980年の「光州事件」を報じた日本のニュースだ。
何が起きているか詳細は理解できなかったが、テレビの画面を通じて「何か普通でない恐ろしいことが韓国で起きている」ことを知った。
事件について、当時韓国では報道されていなかった。

また、釜山には日本からの船が頻繁に寄港した。
船員が読み古した日本の雑誌が持ち込まれ、釜山ではそうした雑誌が闇で売られていた。

東西大学・総長 張済国さん
「私にとって日本は『世界へ通じる』窓口だったんです。ソウルよりも先に釜山に情報が入ってきたし、当時韓国の流行の発信地は、ソウルではなく釜山だったんですよ。」