原子野を走る姿で…

芸備銀行前の交差点を行き交う人たち(Nichiei Eizo/RCC)

映像には、芸備銀行(現・広島銀行)前に停車し、そこから大勢の人が降りてきて、交差点を行き交う場面もあります。復興への息吹を感じられるシーンの一つです。

原爆の被害にあった車輌は1948年末ごろには、ほぼ、修復が終わったといいます。藤田さんは終戦後も、懸命に復旧作業に取り組んだ当時の同僚にこう思いを馳せます。

広島電鉄 藤田睦さん

広島電鉄 藤田睦さん
「私個人の思いになってしまうが、『我々が電車を走らせることで、市民を勇気づけられるんじゃないか』って励まし合って、とにかく復興作業を進めてきた、そういうこともあったのかなって、いろんなことを想像する」

被爆から80年…。原子野を走るその姿で傷ついた人たちに勇気を与えた路面電車。広島の、復興のシンボルとしてきょうも町を走ります。