お米と天皇制

日本では古くから、米と権力が結びついてきました。地中に埋まっている芋類と違い、地上で育っている様子が見える稲は管理しやすく、税の対象にしやすかったためです。「日本で稲作が進む中で、神や自然と交信する占い師などが中心となって村単位で米を管理し始めました。そうしたなかで、律令制の整備とともに天皇がその中心になっていきました」と藤原さん。

しかし、稲作が天皇制と歴史的に結びついてきたからといって、稲作とナショナリズムと単純に重ね合わせて語ることには避けた方がいいと藤原さんは指摘します。古くから日本各地で、稲魂(稲に宿る魂)への信仰や収穫を感謝する祭りが続いてきたからです。「中央集権と直接繋がらないが、米を通じて何かに祈りを捧げる文化が日本では非常に多様でした」

天皇制と稲作のつながりで語られるものに、その年の収穫を神々に感謝する宮中祭祀の「新嘗祭」があります。藤原さんは、この祭祀も明治になって「発見」されたという歴史学者・高木博志さんの研究を紹介します。近代国家の建設を目指していた明治政府は当初、新嘗祭を重視していませんでした。

変化のきっかけは明治政府の要人たちのヨーロッパ視察でした。「ヨーロッパに行くと『どうやら伝統ってものを大事にしないと国民を統合し、中央集権的な国家運営ができないようだ』と気づいた。その中で、『米と天皇は律令制ができて以来深く関係してきたな』と新嘗祭という儀式が『発見』され、だんだんと大々的なイベントに作り上げられていった。古くから新嘗祭というものがあり、だから日本の天皇制と農業は深く関わっているという議論もよく聞きますが、単純すぎます。こうした変化をちゃんと見ていかないといけません」と藤原さんは語ります。