知らせを受け駆け付けた父親…「将太、将太」息子の名前を何度も叫び続けた

 敏さんは当時、将太さんの友人が自宅を訪れたことで、事件を知ったと言います。

 「全くピンとこない。もう何を言っているのかわからない。現場に駆けつけ、息子を見たときも、『何これ、どうなってんの?』と全く現実感のないもので、理解できない。『夢でも見てるんと違うの』と、そう思うぐらいでした」

敏さんが現場に駆け付けたのは深夜、午後11時ごろだったといいます。

「まだ救急車も来ていない中で、息子は横断歩道の上に1人で救命措置もされずに、うつ伏せで倒れていました。何回も何回も『将太、将太』と名前を呼んで、その声がだんだん大きくなって、叫ぶようになっていました」

 将太さんに駆け寄った敏さん。今でも当時の体の温もりなどは鮮明に覚えていると話します。

 「うつ伏せで倒れている息子の手を握ると、指先は冷たかったんですね。首筋を触ったときの感触や温かさ、それは今でも私の手の中に残っています」

 現場付近には、事件の凄惨さを物語るかのように周辺に血痕が広がっていました。

 「息子の左肩辺りから流れ出た血を見ていました。約1.5m~2mぐらい離れた場所にあるマンホールに向かって流れていたんです。幅は1センチ~2センチぐらいのものでした。徐々に血の気が引いていくっていうか、膝ががくがく震えてきて、内臓がぎゅーっと締め付けられるような、もう言いようのない感覚でした」