BC級戦犯として1950年4月7日、スガモプリズン最後の処刑で命を奪われた藤中松雄。処刑の7ヶ月前、松雄は死刑囚が集められた棟で故郷の父母宛ての手紙を書いていた。このひと月の間に6人の仲間が死刑執行のために旅立っていた。入所してから三度目の秋、松雄は鉄窓から雲を見つつ、ふるさとから戦犯として連行された日のことを思い出していたー。

◆獄舎にもいつしか秋が訪れて

藤中松雄の葬儀での写真 中央が当時27歳だった妻ミツコ(嘉麻市碓井平和祈念館所蔵)

藤中松雄のふるさと、福岡県嘉麻市の碓井平和祈念館に収蔵されている手紙。松雄は19歳の時にミツコと結婚し、藤中家の婿養子となった。ミツコ宛の手紙のほか、生家の父母や兄に宛てたものが残されている。1949年9月13日の日付が入った3枚に渡る手紙は、父と母に宛てたものだった。

<藤中松雄が父母に宛てた手紙 1949年9月13日付>※一部現代風に書き換え
前略 父母上様
長い間御無沙汰いたしましたが、その後もお元気にお暮らしの事と思います。私もお陰様にて一日一日を感謝しつつ送らせて戴いております。どうか私の事は御心配なさらず、御安心下さい。
さて獄舎にもいつしか又、秋が訪れて来る様です。つい先頃までは、夏の暑さを狭い独房で味わっておりましたが、一雨一雨が過ぎて見ると獄庭の糸杉のこずえを渡る風の音にも、鉄窓から眺める雲の色にも、秋の静かな気配がしみじみと感じられるようになりました。