終戦の年に石垣島事件で米兵捕虜の殺害に関わり、戦後、BC級戦犯として死刑を宣告された藤中松雄元海軍一等兵曹。福岡県嘉麻市出身だった松雄が死刑執行の前年、ふるさとの兄へ送った手紙には、家族を思いやる優しい文字が並んでいた。スガモプリズンで許されていたのは、週に二通の発信。幼い息子がいた松雄は、毎週一通は息子に、そしてもう一通は親族へと手紙を振り分けていた。一審に続き、再審でも死刑のままだった松雄は、すでに「死」を強く意識していたー。
◆減刑運動をかたり留守家族を訪ねる者

福岡県嘉麻市にある碓井平和祈念館に収められている藤中松雄の手紙は、それぞれ宛名があり、便箋に丁寧に書かれたものばかりだが、1枚だけ走り書きのように大きな字で書かれたものがあった。「拘留されている留守家族に減刑運動をかたり訪れる者がいるので、気をつけるように」という内容だった。家に泊めて盗難などの被害に遭った例が相当あるという。親切を装って悪事をはたらく輩がいたということだ。