こうした情勢を背景に昭和46年に始まったのがいわゆる“減反政策”です。

農家がコメを作りすぎてコメの価格が暴落しないよう、国が生産量を調整するもので、稲を作らず休耕したり、大豆やソバなど他の作物を作ったり、田んぼを埋め立てて畑にする農家もいました。

減反政策をめぐり、農家などによる反対集会やデモも開かれ、反対の声をあげました。そして、減反が始まって20年余り経った平成5年には…。

【細川護熙総理(1994年当時)】
「部分的とはいえ、コメの輸入に道を開くことは、このうえなく苦しく辛く、まさに断腸の思いの決断であった」

現在のWTOの前身となるGATT(関税及び貿易に関する一般協定)が行った自由貿易を目指す多国間交渉『ウルグアイ・ラウンド』をめぐり、全国のコメ農家が再び怒りをあらわにしました。

海外産のコメの輸入が現実のものとなったのです。

【当時の反対集会参加者】
「総理の発言を聞いていると非常に心配」
「なんとしても阻止してもらわねば」
「何のために20年数間、生産調整をやってきたか…」