『にいがた #昭和100年』貴重な映像とともに振り返る

国が推し進めた減反政策に、“聖域”とも言われたコメの市場の一部開放。そして平成・令和と続いた2度の『米騒動』…

この100年間、日本の主食はどう変化してきたのでしょうか?

1959年(昭和34)の田植えの映像があります。

【当時のナレーション】
「田植えの時期。1株1株に豊作の祈りを込めて植え付ける…」

この時代は、機械ではなく“手で”植えていました。

そうした重労働を解放したのが、1960年代に普及が進んだトラクターや田植え機、稲刈り機などの農業機械です。各地で実演会が開かれました。

【当時のナレーション】
「西蒲原郡巻町の県農業教育センター敷地と圃場でトラクターと作業機の実技と展示が行われ、農業関係者など延べ5000人の人出で賑わいました」

収穫したコメは稲わらで編んだ米俵に入れられますが、この米俵は手作りです。
当時は米俵を作る速さを競う大会も…

【当時のナレーション】
「コメどころ新潟の名に懸けて丈夫な俵を作ろうと第2回俵作り大会が行われ、選り抜きの選手がその早技を競います」