ダム建設のしこりは10年かかって解消
当時、桑島地区ではダム賛成派と反対派に分かれて議論が交わされました。

最終的に建設が決定し、西山さんの家族をはじめ57世帯は、山を下り、白山ろくの入り口にあたる鶴来町(現在の白山市鶴来地区)へ引っ越します。移転を余儀なくされた人たちが新しく住む町の名前は、鶴来町桑島町(現在の白山市鶴来桑島町)と名づけられました。
西山さんは当時中学3年生になったばかり、山の小さな14人の学校から、1学年180人の鶴来中学校に転校しましたが、最初は、慣れなかったと言います。
西山博之さん
「中学生ながら対立していることはわかっていて、父は建設賛成派だった。親しい仲間と離れ離れになり、最初は戸惑ったけれど、新しい友達もでき、今となってはこの鶴来中学校を出てよかったと思っています。」
移転してきた集落57世帯だった鶴来桑島町は、金沢のベッドタウンとして発展しました。
西山博之さん
「ダム移住から10年後の町の記念式典では、旧・白峰村の別の地区に移転した人々が訪れ、西山さんら集団移住した人々と握手を交わす場面がありました。この姿を見て、10年経ってもなお村に残るか出るかといった激論や感情的な対立が深い傷として残っていたことを当時実感しました。」

鶴来桑島町、今では、世帯は180。集団移転の経緯を知らない人が半数以上を占めます。4月には移転して50周年を記念した式典が開かれました。
31歳で移転を経験した男性は、当時を振り返ります。
川上輝樹さん(81)
「県庁にムシロ旗をもって反対運動もした。それはそれとして県の事業、国の事業と受け止めて不安ながらに引っ越してきた。今は強い団結力が強い町内会になってものすごく安心して住める街になったので喜んでいる」