「日本が侵略していった地で生まれた責任」
(加藤登紀子さん)
「私自身が生れたということ自体が、子ども時代に悩んだんですけど(日本が)侵略していった地で生れているから、ものすごく責任を感じているんですね」
「それでも侵略して、そこで残された者たちはある種の戦争の結果の犠牲者みたいな部分もある。戦争で負けたことで私たちはいる場所がなくなって難民になりました」
加藤さんは、戦争と平和について考えるきっかけになればと、全国ツアーでアメリカの原爆実験から原爆投下までの経緯を朗読しています。

(加藤登紀子さん)
「広島上空千八百フィートでなん万個の写真のフラッシュを爆発させたような高熱の白い光をはっして原子爆弾は爆発した・・・
爆弾の熱線は屋外にいたすべての人の皮ふをとかし黒い服をきていた人はふくしゃ熱でやけどがとくにひどかった・・・

原爆は広島市の街を破壊しただけではなかった爆発といっしょに広島市のいたるところに放射能をまきちらしていたのだ」
加藤さんは、戦争の悲惨さを伝え続けています。次の世代も平和のために考え、行動してほしいからです。

(加藤登紀子さん)
「日本は戦争をしない国として戦後を貫いてきたんですね。戦争という手段を問題解決にしないというのを日本の(憲法)9条に謳われていてこの日本の平和憲法というのは貴重なものなんですよ」

「日本は世界に平和を発信する国としての役割を今こそ担わなくてはいけないと思うんですよ。被爆国であるということで世界中の人がある種の想いをもって日本を見ていますし、全然安心はできないんだけどとりあえず核をこれだけ世界中が持っているけれども広島級の原爆の投下というのは行われないできているんですね」
「やっとぎりぎりのところで抑えてきた部分もあるので日本は平和を発信するリーダーシップをとる国だっていう。絶対それしか生きる道はないと。若い人にもその立ち位置を、日本という国に誇りをもって世界に発信してほしいです」