■《終戦1か月前の北海道空襲…手稲鉱山も標的に》

1945(昭和20)年6月に撮影された札幌市内の写真です。アメリカ軍の偵察機によって、札幌飛行場や、苗穂の国鉄工場などが、密かに撮影されていました。
そして、7月14日と15日の2日間にわたって、札幌をはじめ、北海道各地が空襲の標的となったのです。手稲では、駅前にあった製油所が爆撃を受け、施設が炎上し、手稲鉱山も狙われました。
小山田碩さん(96)
「手稲鉱山は、大事な工場と思われていたのでしょうね。迎撃の飛行機は1台も飛ばなかった。すぐにそばにあるのに。もうその時は、ダメだったんだね」

小山田さんは、空襲の1か月後、それまでの万年筆ではなく、鉛筆で『生徒日誌』に、8月15日について、こう綴っていました。
小山田碩さん(96)
「8月15日水曜日 小雨。正午からの玉音放送を聴く。雑音が多く、難解の詔勅。先生の解説により、日本が戦いに敗れたことが分かり、その無念さに一同、首を垂れ、涙に暮れた」