■《戦後は教育者の道へ…子供たちへ語り継ぐ“戦争の愚かさ”》
終戦後、小山田さんは、教育者の道を歩み、札幌市内の小学校の校長を務めました。この日、訪れたのは、札幌市立手稲西小学校。かつて“手稲鉱山特別教授場”があった場所です。
この小学校の一角には、児童らが地元の歴史を学ぶ、『鉱山のへや』というスペースが設けられています。
小山田碩さん(96)
「勤労動員といってね 中学生なのに鉱山で働いて…8か月も」
児童
「えっ?やばっ!」
小学6年生
「中学生から働いているから、それもすごくひどいなと思います」
小学6年生
「戦争のために日本の資源を使うのは違うなと思う」
小山田碩さん(96)
「そうだね、戦争は嫌だね…」
1995年、戦後50年の節目に、小山田さんは、旧制札幌一中の級友と共に、それぞれ『生徒日誌』を持ち寄り、一冊の本にまとめました。
小山田碩さん(96)
「勉強するために“一中”に入ったのに、勉強ができなかったこと。記録に残して、後世の人も、これを読んでもらえれば、戦争がいかに下らないかということは、分かってもらえるんじゃないかと」
戦争に翻弄された悔しい青春を、子どもたちに経験させたくない。小山田さんと同じように、学徒勤労動員で、学ぶ機会を奪われた若者たちは、全国で340万人に上るとされています。
堀内大輝キャスター)
終戦1か月前の1945年7月14日と15日の2日間、札幌をはじめ、北海道各地が空襲に見舞われて、およそ3000人もの犠牲者が出ています。
森田絹子キャスター)
戦後80年になり、戦争の悲惨さや被害の実態を示す公的な記録や資料は、もちろん後世に引き継いでいく大切なものです。
それと同時に、小山田さんのように、どう戦時下を過ごしたのかという証言や肉筆の日誌などは、いかに個人の暮らしを戦争が奪っていくのか…、その理不尽さを生々しく伝えるものだと思います。
堀内大輝キャスター)
学徒勤労動員では、当時の国民学校初等科…現在の中学1年生以上の生徒や学生が、工場や農村へ送られましたが、10歳、11歳といった子供も労働を強いられたという証言もあります。
森田絹子キャスター)
今回取材した小山田碩さんが、旧制札幌一中の級友らとまとめた記録集『激動の我等が青春』は、札幌市中央図書館で読むことができます。特集でした。