「被害者の死を無駄にしたくない」2005年4月25日、兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故では乗客106人が命を落とし、562人がケガをしました。命を落とした人の中に当時オペラ歌手を目指していた23歳の女性もいました。「企業に責任が問われないのはおかしい」遺族である女性の父親はそうした思いから企業にも処罰を課す「組織罰」の制定を求め、走り続けてきました。約20年が経ち、父親は「二度と悲惨な事故を起こさないようにする。それが遺族の責務です」と話し、今も法制化のハードルに立ち向かい続けています。
オペラ歌手目指していた娘‥大学へ向かう途中事故に
2005年4月25日、兵庫県尼崎市でスピードを出しすぎた快速電車がカーブを曲がり切れずに脱線。マンションに激突し運転士1人と乗客106人が亡くなりました。
神戸市北区に住む大森重美さん(76)。毎年この時期はざわつく心を趣味の草花の手入れをすることで紛らわせているといいます。
(大森重美さん)「気を紛らわせるためにテレビを見たりもするけど、草花の手入れをしたりするのが一番和む。土を触ると、心が落ち着くね」
オペラ歌手を目指していた大森さんの長女・早織さん(当時23)は公演の写真を整理するために大学へ向かっていた途中、事故に巻き込まれ帰らぬ人となりました。23歳でした。大森さんが早織さんと対面したのは事故から4日後のことでした。

早織さんの人柄を重美さんは次のように話していました。
(大森さん)「早織は活発な娘でした。女の子でしたけど、小さい頃は木登りしたりもしてましたね。高校生の頃はソフトボール部に入りながら、歌を習いに行っていました。歌が好きだったんです」
大森さんは早織さんを亡くした直後、現実を受け入れられなかったと話します。
(大森さん)「(早織さんの)死を正面から受け止められなかった。あまりに突然訪れた大きい悲しみに、事実を避けようともしていた」
早織さんは事故当時1両目に乗っていました。事故後、その車両から泥にまみれた楽譜が見つかり、大森さんにJRから渡されました。