慰霊式の前、浅尾環境大臣は被害者団体との2日目の懇談に臨んでいました。

水俣病患者連合 松﨑重光さん「今年は時間はあるので、私たちの話を聞いていただいて、お互いが納得できれば」

柔らかな表情で挨拶したのは、去年2004年にマイクの音量を絞られたひとり、松﨑重光さんです。

1年前のきょう、当時の伊藤信太郎環境大臣が患者・被害者団体と懇談した際、環境省の職員が、団体側の発言中にマイクを切り、話を遮りました。
当時の伊藤大臣が謝罪

この反省から、2024年7月に改めて懇談の場が設けられました。

団体側は物価高に応じた離島手当の増額など、福祉の拡充を求めました。その要望を聞いた当時の伊藤環境大臣は
伊藤信太郎環境大臣(当時)「基本的に私はみなさんがご要望したことはできるように、環境省が動くようにと指示している」
しかし、実現したのは離島手当の月1000円の増額などにとどまり、団体側が求めていたものとは大きくかけ離れていました。

そして今回、「十分な時間を確保し関係者の声をじっくり聞く」として、浅尾大臣は2日間の懇談を決めました。

松﨑さんは、大臣へ、亡くなった 妻の苦しみを語り、認定制度に疑問を投げかけました。
水俣病患者連合 松﨑重光さん「家内は毎日、毎日、イタイ イタイと言いながら死んでいきました。水俣病と本人が言っているのであれば水俣病ではないのかと考えてくれるのが、行政の仕事だと思う」
そして、団体側が要望したのは、再懇談の時と同じ、物価高に応じた療養手当の拡充などでした。しかし、浅尾大臣は・・・
浅尾環境大臣「元々の和解所見を基本に考えたという経緯があるので、ここについてはなかなか難しいというのが実態」
改めて、療養手当の拡充は難しいという見解を示しました。