「無駄にしたくありません」母娘ともに苦しみ続けた記憶障害

退院して半年が過ぎた頃、順子さんは事故の状況について詳しく話した。

鈴木順子さん
「突然、予期もしなかった。何か変な方向に動いているなーと思って、電車が傾いているなと思ったら電車が横向いていた。がががーとなったけど、後は知らない、わからない」

このインタビューの後、順子さんは事故について語ることはなくなった。

順子さんの脳のCT画像。事故直後、腫れあがっていた脳は格段に回復していたが、記憶障害が残った。「高次脳機能障害」の症状のひとつだ。

昔のことは覚えているのに、5分前のことや人の顔や名前、予定などを覚えられない。順子さんの事故前後の記憶は薄らいでいった。

事故から10年。介助を受けながら料理をする余裕も出てきた。JR西日本とは補償交渉も終え、区切りはつけた。

この時、順子さんと母・もも子さんが苦しんでいたのが記憶障害だ。自分が何歳なのか、なぜ障害があるのか、周りに尋ねることが多く、貼り紙を用意した。

ー電車の事故は覚えていますか

鈴木順子さん
「全く覚えていない。電車が事故を起こすという事実が信じられません。まず現状を把握できていないので、毎回同じところから、なんで車椅子なんだろうと思うし、カンぺ(貼り紙)を見て、『あっそうか、事故にあったのか』と思って、その繰り返しですね。無駄にしたくありませんね。無駄な10年という風に片付けたくありません」

手先が器用で絵も得意だった。30歳になって手に職をつけようと意気込んでいた時に事故にあった。

かつての自分を取り戻せるかもしれないと始めたのが陶芸だ。20代の時、趣味だった陶芸はリハビリにも適している。

鈴木順子さん
「自由な感覚です。自分で何でもできる、そんな感覚」

母・もも子さんは近所の人たちに声をかけ、自宅の駐車場を改装して陶芸教室に使ってもらうことにした。陶芸の先生も出張で月に1回来てくれることになった。

陶芸家 武田康明さん
「目をつぶって触ったらよくわかると思いますよ。指先だけに集中して分厚いところを探して」

鈴木順子さん
「真ん中ぐらいから厚くなっている」

陶芸家 武田康明さん
「そうでしょ」