「いろんな方の助けがあって…」記憶障害に向き合い続けた20年
順子さんを中心に集まった仲間たち。

皆の創作意欲も高まってきて大きな目標を立てることにした。作品展を開くこと。
週に1回、歩くためのリハビリを続けて身体は確実に回復している。立ち上がって歩く感覚を少しずつ記憶していった。
西宮協立リハビリテーション病院 理学療法士 成田孝富さん
「かなり年数は経っていますけど、運動面に関してはまだ伸びる余地があるなと思っている。個展を開くことも非常にいいことで、そこでいろんな交流が生まれると彼女の社会性がどんどん伸びていくと思う」
2023年6月、作品展に出すメインの大皿作りが始まった。5キロ分の土を使う大作だ。
右半身は今も動かしにくいが3時間半、集中して大皿の原型を作った。

鈴木順子さん
「こんなに大きいのを私が作ったというのが感激、感動です。いろんな方のお力を借りましたけど」
この日は絵付けだ。順子さんは暖かい海に住むカクレクマノミを描くことにした。

左右の手を使いながら、慎重に、慎重に描いていく。
この10年で順子さんは今の自分を受け入れるようになった。電車の事故にあったという貼り紙は、40歳の時に書き直して以来そのままだ。
ー電車の事故でこうなったということは今は言わないのか?
母・もも子さん
「言わないね。あれから10年経っているから、記憶の中に残っているというか。私はなんでこうなったというのは聞かないです。事故というのはわかっている」
大皿の絵付けが大詰めを迎えた。
鈴木順子さん
「(魚の目が)小さい、可愛すぎた」
2024年7月、大皿がついに完成した。

鈴木順子さん
「魚が群れで泳いでいるというのは記憶している。他の魚の背びれとか尾びれとか」
母・もも子さん
「感性として人間の持っているものが記憶として残っている。高次脳機能障害というけれど、一番大事な感性が残ってくれたから、私は本当によかったなと思う。皆さんのおかげでここまでやってこれて本当に幸せです」
2025年4月17日、作品展の初日を迎えた。これまで作ってきた作品70点が並んだ。

1年以上かけて制作した大皿は、会場の真ん中に飾られた。

鈴木順子さん
「いろんな方の助けがあってここまで私は生きてこれたと感じています。ありがたいです」
順子さんが描いた群れで泳ぐ魚。
これまでの20年、支えられてきた自分の姿と重ねて記憶しておきたいと順子さんは話している。