町野町の住民の灯火「もとやスーパー」
地震発生から8か月がたった9月21日、奥能登を豪雨が襲います。町野町でも多くの住宅が浸水しました。中でも住民が生活の拠点として、発災から一日も休むことなく営業してきた「もとやスーパー」は、店舗に大量の泥水が入り込み、営業休止を余儀なくされました。

一時は廃業も頭をよぎりましたが、大手小売り企業のドン・キホーテやボランティアや地域の人の応援を受けて、再起。
売り場面積は少なくなったものの、ボランティアや支援者の宿泊スペースを設置するなど今後の復旧・復興を見据えてリニューアルしました。

歴史を紐解けば、町野町は、1956年に輪島市に編入されるまで、単独の町として存在していました。輪島市町野町といっても、町野町の人たちは、「町野のもん(者)」と輪島市の中心部や輪島市門前町の人たちと自分たちを区別しています。
町野町の人たちにとって、もとやスーパーは、生活物資を購入する拠点で必要不可欠の存在ですがそれだけではありません。心の支えのような存在なのです。
藤本透さん
「もとやスーパーさんは、町野町の中心であり、町野の灯火であると思います。奥能登豪雨の翌日、まだもとやスーパーさんが営業再開を決断出来ずにいた頃、「このままでは、町野の灯が消えてしまう」と電話をしてきた父の声が、今でも忘れられません。もとやスーパーさんがあるから、町野町は復興に向かえるのだと言っても過言ではありません。町野町のまんなかにある、この町の希望、復興拠点となる覚悟を、もとやスーパーさんは示し続けてくれています。」