■見切り発車の北京訪問

見切り発車で北京訪問を決めたと語る真紀子さん。出発前の田中元総理は“悲壮な決意”を固めていたと言います。

田中真紀子さん:
(田中元総理は)「真紀子をつれて世界中を見せること。世界中を真紀子に見せてあげたい。それがお父さんの夢だって」ただし中国は駄目。なぜか。「あの国でお父さんは刺されるから。毒を盛られるから」(先の大戦で)日本が侵略したわけですから誰かが毒を盛る可能性あるでしょ。「真紀子は一人っ子だから、2人が殺されてしまったら、ご先祖さんに申し訳ないので、だからお父さんは今回は1人で行く」って。私が「お父さん、約束違反だ」って言いましたらば、父は「違う」と、「必ず真紀子やいろんな人たちが自由に中国からも日本からも自由に往来ができる時代を作るためにお父さんは死を覚悟していくんだ」と。

自民党内の調整がつかないまま田中元総理は大平元外務大臣、二階堂元官房長官らと中国を訪れます。真紀子さんは出発前の光景がいまでも脳裏に焼き付いていると語ります。

膳場キャスター:
中国に行く時は台湾問題の板挟みもあり、本当に全責任を負うっていう覚悟をされていたということだったんですね。

田中真紀子さん:
(出発前)私どもの長男、今もういいおじさんですけれども、当時2歳の子供がいまして、父(田中元総理)がぱっと左手に抱っこして、出発する前に家で。「雄ちゃん北京はどっちだ」って聞いたら、(お孫さんが)「あっち」っていうから、「そうかあっちか。じゃあおじいちゃんはあっちに今から行きます。帰ってきたら必ず、必ず帰ってきたらまた一緒に飯食おうね。元気でね。必ず帰ってくるよ」って言って下ろして、ばあっと警護官に囲まれて車乗って、ダーッと高速で行っちゃったんですよ。

孫(真紀子さんの長男)を抱っこする田中元総理

北京に到着した田中元総理を待ち構えていたのが中国側の交渉の責任者である周恩来首相(当時)でした。同行はできなかった真紀子さんですが、後日中国側が周到に協議に向けた準備を進めていたことを知ります。

田中元総理と周恩来元首相  

田中真紀子さん:
父が言ったんですけども、帰ってきて「中国はお父さんの生活習慣体質全部知ってた」と。どういうものを食べるとアレルギーを起こすとか、ものすごく詳しく調べていて、ことに朝型人間なんですようちの父は。朝5時起きして、書類を見て、役所の書類を見て、本を読んで、あらゆることをやって、ちょっと寝て、また起きて動き出す。

(周恩来首相夫人の)鄧穎超(とうえいちょう)夫人から聞きましたが夫人から「(交渉相手が)田中さんと決まったときから(夜型人間だった)周首相は朝型人間に自分の生活行動を変えた」と。

■田中元総理を困らせた周恩来元首相からの質問

田中総理と周首相による4回の首脳会談を経て日中は国交正常化を果たすことになりました。中国が求める「一つの中国」を認めることで日本は台湾との国交を断絶します。日中共同声明の調印を終えた田中総理と周首相は最終日に上海を訪問しました。真紀子さんはその時の両首脳のエピソードを披露しました。

田中真紀子さん:
(周首相は)上海に父と一緒に北京から行っているんです。そしてそのときに、上海ですごく心を砕いて話をしたらしくて、すごく周総理って方が面白い人だと思うけど、(周首相が)「蒋介石のことを、田中総理どう見てますか」って困らせてるわけですよ。どう見てますかって。しかし「お父さんなんて言ったの」って、(田中元総理は)「本当のこと言ったって。優秀な優れた中国の指導者と思うって」言ったんですって。

膳場キャスター:
その場が凍りつきそうですね。

田中真紀子さん:
そしたら周総理は「自分もそう思うって、あれだけ国家を指導できるようなね、政治家はいないと思う」

膳場キャスター:
立場は三者三様ですけど、お互いにすごく尊敬を抱いているんですね。

田中真紀子さん:
相通じるんじゃないですか。